痩せ犬の輝き
一時間前から様々なエピソードとそれに付属している貴重な感覚を書き留めようとしている。けど、酔っているせいか、また自分の力の無さのせいか、元々こういった感覚は文字に出来ないのか、なんだか分からないが何一つ書けないでいる。やはり言葉にも出来ないような感覚は文字には出来ないのかもしれない。現実に今「何を示したいんだ?」ときかれても的確に答えられない。ただ貴重なモノを大事にしたいし、救済の種はちゃんと育てていきたい。書かなければならないようだ。
いつか俺は根源的に豊かになり救われる
誰の手によってではなく
救済の種の結果によって
一つのエピソードを書き残したい。けれど、そこから発するイメージは果たして正しいのだろうか?分からない。どうやら俺は自分の成り行きを捨てきれない男で、どれも大切なモノだと思っている節がある。とにかく書いてみよう。ご託はそれから。
周知の通り俺はある時期、様々な負担と問題と葛藤の中で生きていた。美化するのかと思われると気分が悪いのではっきり言っておくが、負担は性格的なもので、問題は俺の見栄で、葛藤は在り方だった。美化なんてない。今も俺は何一つ変わる事も別の分野に進む事も出来ないでいるんだから。この問題の根本にあったのは自尊心と自信だろう。もちろん多くの人がそうであるように自尊心を大切にするということは孤独な作業である。自信は自信でとても胸を張っていえるものでもない。崩れればそれで終わり。俺はプライドも自信も、またひょっとすると孤独にも慣れ親しんでいたのかもしれない。カッコをつけて言えば、孤高な戦士(生き方と思想の闘い)だったのかもしれないし、悪く言えば、孤高な負け犬(痛みを舐めるくだらんセンチな馬鹿)だったかもしれない。だがこれもまた、現状はさほど変わっていない。見る場所によれば-色々にとれるだろう。
丁度、上記のような反吐がでそうな周期にいた頃、俺は痩せ細っていた。文字通り痩せていた。ゲッソリとしながらも顔は浮腫んでいた。今思うと、自分の意志で痩せていったし、その周期からも出ようとしなかったように思う。今よりも質の悪いちんけな夢想家だったのかもしれない。別人になりきっていたし、最中は自分でもなりきっていると気がつかなかった。制御出来ない焦燥の為、様々な現実を引き起こしたが、今思うとやっぱり不思議な感じがする。やはり浮いている人間と少しは地に足をつけようとする人間とでは雲泥の差があるみたいだ。俺はこういったエピソードの成り行きにも自信を見つける。適切な手段が他にあればいいんだが、俺はやっぱり知らない。知ろうとしても俺には分からない事が多すぎるようだ。免疫が出来た俺は、もうちんけな夢想家にはならないだろう。それに以前だって今だって、そうゆうモノに本気で惹かれた事はないんだから。
落雷の中に一瞬の閃きがあった
やろうがやるまいが、どちらにしても文句を言われる
うなずく人々が俺には見えている
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