俗人の病理と心理について語らせていただきます。俗人とは罹患者であり生きてはいるが生殖と毎日の仕事でしか意味を見いだせない可哀想な種族です。俗人種族は無意味です。なぜ俗人が病にさらされているのか。どのような病なのか。代表的な罹患者の症例をあげましょう。
まず第一に精神活動のレベルの低さ。第二に仕事をもち家庭を築けば幸せだと信じている。第三に社会独特の汚れにおかされている事に気付かない。または気付いたとしても、生きていく上では当然の事だと甘い幻想にしがみつく。第四に人生が茶番だとは一切考えず異性を熱烈に愛したりする。第五に相性の悪い人間達と平気で戯れ、群れをつくる。第六に金銭に対する欲が強すぎる。第七に、これが最も病的な部分です。「自分は正常だと思い込み、正常とゆう範囲をたくみに創りだし、範囲内から漏れる者に嫉妬する」これら以外にもありますが代表例です。
分かりますか。俗人がなぜ自分を正常人だと思いこむか。それは狂おしいほどの嫉妬と諦念です。俗人はみな多かれ少なかれ狂気へ惹かれています。なぜなら本来、人間の中身とゆうのは狂気なんです。狂人がこの秩序と規則を考え社会や文明を作り上げたんです。きっとそうゆう無意識的な潜在意識といいましょうか。その部分に何世紀も前の狂人の輝きが皆にながれているんです。
俗人は渇望しています。狂気を昔のように取り戻そうとしているんです。だがそれは精神活動のレベルの低さゆえに、自身の中に眠っている狂気を膨張させる事が出きないのです。そして直感的に一瞬にして諦めます。
これには私も驚かされましたが、俗人にとっては「生か死か」とゆうくらい、重要な渇望だったとゆう事でしょう。本当に絵に描いたように簡単に諦めるんです。そこで俗人はおとなしく死を選べばいいものを足掻きだします。這いつくばってでも生きて優越感に浸ろうとします。
そして私には分かったんです。本当は諦めたわけではなく、少量の諦念を誇大化しそれを信じ込んでいるだけだと。その証拠として嫉妬狂になります。俗人なりの防衛本能でしょう。本来、狂人として生きなければならないのにそれが直感的に不可能だと知った時の悲しさ、無意味さ、虚無感、死、それらから逃れたのです。
逃れたわけは、俗人は精神の稚拙さから不可能だとゆう事に直面する事が出来なかったからです。だから少しの諦めの念を誇大化してでも、その悲劇から逃れとゆうわけです。それ程までに俗人は狂気への渇望、一体感を熱望したのです。この必死に死にもの狂いで求めつづける姿を想像すると、いくら私でも同情の念すらわきます。
そして諦念の意識は次第に嫉妬へと変わっていきます。この感情は生涯に渡って俗人の心を支配しています。俗人は狂人になれない愚かな自分を正常だと思い込む事で何とか存在の価値を作り上げたんです。その価値を偽物だと俗人はまったく気付こうとしないのです。きっと怖いのでしょう。
俗人の特技は妄信です。自分達は正常だと妄信し、先ほど述べた正常とゆう範囲内から漏れた者達との差別化を計ります。彼らの思考は浅はかで差別化する事によって優越感をえようとしているようです。そして俗人は狂人を目の敵にし追いつめたりします。また的外れな敗北者の偏見のようなものを、社会に埋め込みます。何をしようが何を言おうが俗人はどこか憎めない所がありますが、とても存在に意味があるとは思えません。
結論を言います。俗人とは成るべき自己になれず嫉妬狂の可哀想な種族です。どうか狂人さん達は彼らに優しさを与えてあげてください。嫉妬を責めないでやってください。そして全国民の大半を占める俗人さん。私はとてもあなた達が可哀想で仕方がありません。あなた達は心に直面する事が出来ず、敗北者として社会を汚染し、優越感とゆう感情をたくみに利用して生かされている種族です。あなた達には何の意味もありませんが、妄信と誇大化、嫉妬深さだけは誇っていいと思います。嫉妬に狂った目付きと精神の稚拙さと狂気に飢えた姿は、きっと末永く未来永劫に伝えられることでしょう。(2005/6/17-詩的求核.com)
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